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いかりや長介の死因は?本名や経歴、代表作など振り返ってみた

いかりや長介の死因は?本名や経歴、代表作など振り返ってみた

コメディアンとして活躍していたいかりや長介さんは、フジテレビの「ドリフ大爆笑」で一世を風靡しましたが、2004年に亡くなってしました。そんないかりや長介さんの死因はなんだったのでしょうか。本名や経歴、代表作なども気になるところです。そこで今回は、いかりや長介の死因は何だったのか?本名や経歴、代表作について振り返ってみたので、ご紹介します。

いかりや長介のプロフィール

まずは、いかりや長介さんのプロフィールをご紹介します。

  • 名前:いかりや長介
  • 本名:碇矢長一
  • 生年月日:1931年11月1日
  • 出身地:東京府東京市本所区中之郷横川町(現・東京都墨田区東駒形)
  • 身長:175cm

いかりや長介さんは、1944年に戦争激化のため静岡県へ疎開した頃、アメリカのお笑いコンビ「アボット&コステロ」の映画をよく見ており、ナンセンスギャクの笑いが世界にはあるということを初めて知ったそうです。

1959年にはミュージシャンを目指して上京し、1962年に「櫻井輝夫とザ・ドリフターズ」に加入しました。その後メンバーの脱退や加入が何度かあり、最終的にいかりや長介・加藤茶・志村けん・荒井注・高木ブー・仲本工事というメンバーで「ザ・ドリフターズ」としてバンド活動をし、1969年以降はコントグループとして活動していました。

また、いかりや長介さんは、1985年「8時だヨ!全員集合」が放送終了してからは、俳優としての活動を始めました。

いかりや長介の死因は?

いかりや長介さんの死因はがんです。2003年5月、原発不明頸部リンパ節癌により緊急入院し、闘病を経て、同年7月に一旦退院をしました。長男の浩一さんによると、7月の退院直後に担当医から「余命はもって8ヶ月」であると宣告されていたそうなのですが、本人には伝えなかったそうです。2004年3月15日、癌が転移したことで再入院しましたが、3月20日午後3時30分に亡くなられました。当時、いかりや長介さんは72歳でした。いかりや長介さんは2004年の没後、第一回喜劇人大賞「特別功労賞」を受賞し、3月27日にはTBSテレビで追悼番組「長さんだョ!全員集合」が放送され、国民から愛されていたことがわかります。

いかりや長介の代表作

いかりや長介さんはコメディアンである一方、俳優としても活躍しており、数々の代表作があります。

①    踊る大捜査線

いかりや長介さんの代表作の1つが「踊る大捜査線」シリーズです。いかりや長介さんは、和久平八郎という、織田裕二さん演じる青島俊作に刑事のイロハを叩き込んだ古参の老刑事役でした。いかりや長介さんは、1998年の映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」で第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しています。いかりや長介さんは、「踊る大捜査線THE MOVIE2」の公開から8ヶ月後に他界しましたが、その後の踊る大捜査線シリーズの作中でも、和久さんについて語られるシーンなどがありました。

②    月曜ミステリー劇場「弁護士猪狩文助」

いかりや長介さんの代表作の2つ目は、月曜ミステリー劇場「弁護士猪狩文助」シリーズです。2001年から放送開始され、70代にして人気シリーズの主演を務めました。このシリーズは、いかりや長介さんの演技や、渋い演出などが高く評価され、DVD化もされています。

まとめ

いかりや長介さんの死因はがんだったことがわかりました。いかりや長介さんの代表作としてはやはり、踊る大捜査線が有名で、見たことがあるという人も多いのではないでしょうか。ミュージシャン、コント、俳優と幅広い活躍をし、国民に愛されたタレントさんでしたね。