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天童よしみの母の年齢は?生い立ちや実家・家族構成・年収まとめ

演歌界で活躍し様々なヒット曲を持つ天童よしみさんですが、演歌歌手としてはもちろん、VC3000のど飴のCMでも有名で、知らない人はいない芸能人です。

そんな天童よしみさんは、どのような生い立ちで演歌歌手となったのでしょうか。

自宅が大豪邸という噂もあり、家族構成や年収なども気になります。

そこで今回は、天童よしみの母の年齢はいくつかのか生い立ちや実家・家族構成・年収についてまとめたので、ご紹介します。

天童よしみのプロフィール

天童よしみさんのプロフィールはこちらです。

  • 天童よしみ
  • 本名:吉田 芳美(よしだよしみ)
  • 生年月日:1954年9月26日
  • 出身地:大阪府八尾市
  • 血液型:B型
  • 職業:歌手

天童よしみさんの生まれは和歌山県田辺市芳養町なのですが、4歳の時に大阪府八尾市に引越し、公式プロフィールでも大阪府八尾市となっています。



天童よしみの母の年齢は?

天童よしみさんの母の年齢は、2023年で90歳の年になります。

お名前は吉田筆子(よしだふでこ)さんで、天童よしみさんが幼いころから、天童よしみさんの芸能活動を支えてくれていました

母の筆子さんが2018年に自宅で庭仕事をしている際に転倒して、両脚に人工股関節を埋め込む緊急手術を受ける怪我をし、現在は、天童よしみさん一人で母の介護をしているそうです。



天童よしみの生い立ちや実家は?大豪邸との噂も

天童よしみさんの生い立ちをご紹介します。

父の吉田義行さんが、歌やサックス演奏が趣味だった影響で、天童よしみさんも歌が大好きな少女に育ちました。

そんな天童よしみさんは「日清ちびっこのどじまん」というテレビ番組に出演した際、日本コロムビアにスカウトされ、アニメ歌手としてのデビューすることになりました。

当時高校1年生だった天童よしみさんは、母と一緒に上京して芸能活動を始めますが、なかなかうまく行かず、一度大阪に戻ることになります。

大阪に戻ってからは、カラオケ教室を始め再起図ると、生徒数500人を数えるほどの人気となりました。

1985年には、30代となって初めてのシングルとなる「道頓堀人情」をリリースした際、全国へ営業に回りプロモーションに力を入れ、その結果、天童よしみさん初のヒット曲となりました。

続いてリリースした、1996年の「珍島物語」でミリオンセラーを記録したことで、天童よしみさんは国民的な演歌歌手となりました。

現在、天童よしみさんの実家は、大阪府八尾市に建てた5階建ての事務所兼自宅で、母の吉田筆子さんと2人で暮らしています。

建設当時は時価5億円の大豪邸と報道され、話題になりました。

天童よしみさんの大豪邸の実家は、関西では有名なようですね!

また、天童よしみさんは東京の麻布にも自宅を持っており、地上3階、地下1階建てのビルとなっています。

こちらも自宅兼事務所になっており、ワンフロアは衣装部屋になっているそうです。



天童よしみの家族構成・年収は?

天童よしみさんの家族構成は現在、母と本人の2人家族です。

父の吉田義行さんは、2008年に大腸がんで亡くなっています

また、天童よしみさんは結婚歴はなく現在も独身です。

演歌界では、売れっ子歌手ほど公演や営業で非常に忙しくなるので、結婚のタイミングがなかったのではないかと考えられます。

同じ演歌界でも、坂本冬美さんや水森かおりさんなどの有名な演歌歌手の方々も独身です。

天童よしみさんの年収は公開されていませんが、演歌歌手としての活動の他にもバラエティやCMでの活躍も多く、億を超えるのではないでしょうか。

まとめ

今回は、天童よしみの母の年齢はいくつかのか、生い立ちや実家・家族構成・年収についてご紹介しました。

今では誰もが知る有名演歌歌手ですが、デビュー当時はとても苦労された期間があったことがわかりました。

年収は明らかになっていませんが、大阪の実家や東京の大豪邸を見ると、かなりの資産を持っていると考えられます。

現在は母の介護をしながら芸能活動をしているようですが、今後の天童よしみさんの活躍にも期待したいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。