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オリックス中嶋聡監督の経歴/学歴!出身は秋田で高校時代の成績は?

2022年シーズン、SMBC日本シリーズで見事優勝を果たした「オリックスバファローズ」

チームを率いたのは『中嶋聡監督』です!

中嶋聡監督は、29年間という長い間、日本プロ野球界で一軍として活躍していた名選手ですが、経歴や学歴を振り返ってみましょう。

中嶋聡監の出身は秋田県ですが、高校時代の成績なども気になりますね!

「SMBC日本シリーズ2022」で優勝を果たした中嶋聡監督なので、世間では有能・名将という呼び声も高いです。

実際にSNSなどでファンの声をみてみましょう!

  • オリックス「中嶋聡監督」の経歴
  • オリックス「中嶋聡監督」の学歴
  • オリックス「中嶋聡監督」出身は秋田県・高校時代の成績は?
  • オリックス「SMBC日本シリーズ2022」優勝!
  • オリックス「中嶋聡監督」は有能・名将?世間の声

などについてまとめてみたいと思います。是非参考になさってください。

オリックス「中嶋聡監督」の経歴

オリックス「中嶋聡監督」は、オリックスバファローズ・西武ライオンズ・横浜ベイスターズ・北海道日本ハムファイターズの4球団でプレーしていました。

様々な球団で活躍してきた中嶋聡監督の経歴をまとめてみました!

プロ入り~オリックス時代

1986年に現在のオリックスバファローズ(旧:阪急ブレーブス)から3位指名を受け、入団し、プロ野球選手として歩み始めました。

1989年に球団名が「オリックス・ブレーブス」に変わってからは、正捕手の座を掴み、球界随一の強肩と称されていました。

守備力だけでなく、打撃センスにも優れており、俊足も持ち合わせていたので、『走攻守すべての面を持ち合わせた選手』でした!

1990年代の中盤以降は、打撃が徐々に低迷しますが、持ち前の強肩は衰えず、1995年には佐藤義則のノーヒットノーラン(当時のNPB公式戦史上最年長記録)や、11年ぶりのパシフィック・リーグ優勝に貢献しました。

翌1996年には、仰木監督の下でリーグ連覇と、19年ぶりの日本シリーズ制覇も経験しています。

 

西武時代

1997年シーズンオフにFA宣言をし、メジャーリーグ挑戦を表明し、アナハイム・エンゼルスの入団テストを受けました。

一時はメジャーリーグ入団が決まりかけましたが、エンゼルス側が提示した条件が、「3番手捕手としてのマイナー契約」であったため、メジャーリーグ移籍を断念しました。

国内球団の移籍に的を絞り、西武ライオンズと日本ハムファイターズが獲得に乗り出しましたが、最終的には西武ライオンズへ移籍入団します。

不調の正捕手の代わりとして、一時的に活躍しましたが、長年西武一筋で、信頼感のある正捕手・伊東選手の座を奪うことはできませんでした。

2001年以降は、西武が若手捕手育成の方針を取ったため次第に出場機会が減っていってしまいました。

2002年シーズンは、大半を二軍で過ごし、シーズンオフに2対2の交換トレードで、横浜ベイスターズへ移籍します。

 

 

横浜時代

2003年横浜ベイスターズでは、前年に正捕手だった谷繁元信選手がFAで中日へ移籍したため、開幕戦では先発マスクを被りました。

しかし、故障や打撃不振などで結果を残せず、シーズンオフに金銭トレードで、北海道日本ハムファイターズへ移籍しました。

 

日本ハム時代

2005年、中嶋聡選手は当初3番手捕手のはずでしたが、正捕手・髙橋信二選手の度重なる故障のため、代わりに捕手として出場する機会が多くなり、この年のチーム最多の出場機会を得ました。

2006年、先発出場はわずか2試合と激減しましたが、外国人の抑えピッチャーとの相性が良く、試合後半を任される「抑え捕手」の地位を獲得しました。

2007年から、選手と一軍バッテリーコーチを兼任し、一軍登録抹消時はコーチ専任で一軍に帯同しながらコーチとしての実力をつけていきました。

それ以降も選手兼コーチという役回りを続け、2014年6月27日の対楽天戦(札幌ドーム)8回表から捕手として出場し、野手としての『NPB一軍実働年数記録』を28年に更新するとともに、『パシフィック・リーグ公式戦での実働年数記録(27年)』を達成しました!

2015年に一軍出場の機会があったものの、惜しまれつつ同年10月1日に現役引退しました。

中嶋聡選手は、最終的に一軍実働年数が29年に到達し、工藤公康と並ぶNPB最長記録を達成しました。

 

現役引退後

2016年に日本ハムのチーム統括本部として、「ゼネラルマネジャー特別補佐」に就任し、日本ハムの業務提携球団に当たる『MLBのサンディエゴ・パドレス』に派遣されます。

アメリカ滞在中には、コーチとしてマイナーリーグの傘下球団を巡回する一方で、外国人選手のスカウトにも携わっていました。

2018年、日本ハムの一軍バッテリー兼作戦コーチとして3年ぶりに現場へ復帰しましたが、シーズン終了後の10月19日に退団します。

 

その後、2019年オリックス・バファローズの二軍監督に就任しました。

ブルーウェーブの捕手時代にバッテリーを組んでいた小林宏二軍投手コーチと共に、榊原翼選手やK-鈴木選手などの投手を、一軍に定着させました。

2020年も引き続きオリックスバファローズの二軍監督を務めていましたが、一軍監督の西村徳文監督が、8月20日の対西武戦終了後に辞任したことを受けて、翌21日から一軍監督代行に就任しました。

2020年シーズン終了後の11月12日、正式に一軍監督に就任します。

二軍にいた杉本裕太郎選手や宗佑磨選手など、一軍で現在活躍している選手を育て、正式に監督就任してから初年度となる2021年にオリックスの25年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

その年の日本シリーズは、東京ヤクルトスワローズに2勝4敗で敗れ、日本一を逃しましたが、翌2022年、日本シリーズでヤクルトを4勝2敗1分けで下し、日本一の座に輝きました!

 

オリックス「中嶋聡監督」の学歴

オリックス「中嶋聡監督」は、北秋田市立鷹巣中学校を卒業し、秋田県立鷹巣農林高校へ進学しています。

秋田県北秋田市伊勢町にあった県立高等学校で、2011年4月に秋田県立秋田北鷹高等学校へ統合し、2013年3月に閉校となっています。

秋田県立鷹巣農林高校の偏差値は44程度で、秋田県の中でも真ん中くらいのレベルだったようです!

現在、統合先である秋田県立秋田北鷹高等学校は、スキー・フェンシング・相撲・弓道部は全国大会上位入賞しているスポーツの盛んな学校です。

中嶋聡監は、高校卒業後すぐプロ野球界入りしているので、大学へは進学していません。

 

オリックス「中嶋聡監督」出身は秋田県・高校時代の成績は?

オリックス「中嶋聡監督」は秋田県北秋田郡鷹巣町(現:北秋田市)出身です。

出身高校は、秋田県立鷹巣農林高校です。

秋田県立鷹巣農林高校は、1985年秋季東北大会県予選準々決勝に進むも、秋田高校に敗退し甲子園出場を逃しています。

その翌年、1986年夏の甲子園県予選も準々決勝で横手高校に敗れているので、中嶋聡監督は甲子園に出場できないまま、高校野球生活を終えたそうです。

全国的に知名度のある選手ではなかったのかもしれませんが、1986年に現在のオリックスバファローズ(旧:阪急ブレーブス)から3位指名を受け、入団しています。

高校時代の成績はあまり明かされていませんが、甲子園に出場機会がなかったのに、ドラフト3位指名を受けたので、個人としての実力が認められたんですね!

 

オリックス「SMBC日本シリーズ2022」優勝!

2022年シーズン「SMBC日本シリーズ」で、見事オリックスが前年王者ヤクルトを下し、優勝を果たしました!

 

「全員で勝つ」をスローガンに2022年シーズンを戦い、ヤクルトとの日本シリーズでは4勝2敗1分けと、第7戦までもつれ込んだ激闘を、全員で勝ち切りました。

中嶋聡監督は試合直後、『非常にいい夜空でした。26年ぶりの日本一ですけども、ここにいる選手たち、舞洲にいる選手たち、全員で勝ち取った優勝だと思います』と話していました。

常に選手を主役にたて、全員で勝つという指導が実を結びましたね!

本当におめでとうございます!

 

オリックス「中嶋聡監督」は有能・名将?世間の声

26年ぶりにオリックスバファローズを日本一への導いた「中嶋聡監督」。

「有能や名将」とも言われていますが、世間の声をみてみましょう!

 

 

 

オリックスバファローズはかつてはリーグ最下位も経験していますが、中嶋聡監督が就任してからは、「パリーグ優勝」「日本シリーズ優勝」を果たしています!

中嶋聡監督は選手の使い方がうまいとも言われていますね。

 

選手思いの性格で、「わが子」のように接してきたため、プレーする選手からの信頼も厚いようです。

「監督って、選手からしたらなんか話しかけづらいとか、怖いとか、そういうイメージあるやん。そういうのが嫌。俺が(現役のときに)そうやったから。そういうふうにはなりたくない」

心がけたのは選手との距離感だ。現役時代から打たれた投手をかばう兄貴肌。〝魔法の言葉〟とも称され、普段から選手とフランクに接した。好機で凡打した次の日。失意に沈む選手には「力み過ぎやねん」と冗談交じりに言葉をかけ、切り替えさせる。球場の風呂、サウナでも選手と語り合う。

引用:Yaho!ニュース

これからもオリックスの黄金時代が続いていきそうですね!

 

まとめ

2022年SMBC日本シリーズは、見事オリックスバファローズが優勝を果たしました!

チームを率いたのは「中嶋聡監督」で、正式に監督に就任してからわずか1年で、日本一となりました!

中嶋聡監督は現役時代は、オリックスバファローズ・西武ライオンズ・横浜ベイスターズ・北海道日本ハムファイターズの4球団でプレーしており、29年間という長い間、一軍で活躍してきました。

現役引退後は、日本ハム・オリックスでコーチや監督を務めてきました。

中嶋聡監督は秋田県出身で、秋田県立鷹巣農林高校時代の成績はあまり分かっていませんが、甲子園出場経験がないにも関わらず、オリックスからドラフト3位指名を受け、プロの世界へ足を踏み入れました。

中嶋聡監督は監督としても評価が高く、野球ファンから「名将」とも呼ばれています!

2022年シーズン大活躍した宗選手や杉本選手の才能を見出したのは、中嶋聡監督なので、選手の育て方・使い方がうまいと評価されています。

来シーズンからもオリックスの黄金時代が続きそうですね!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。